夫婦ともに40代で仲が良く、子供を1人育てています。家族で旅行に行くのが好きです。10億円の宝くじが当たったら、両家の両親も一緒に連れて家族で世界一周旅行に行きます。夫婦ともにやりたいことをやっているので、今の生活をすぐにやめることはありません。まずは今の生活を続けながら、家族みんなでどの国にどれくらい滞在したいかなど、一年ぐらいかけてじっくり楽しくプランを考えます。せっかく世界一周旅行に出るのなら、現地の人ともコミュニケーションをとりたいので、家族で語学学習もスタートします。英語はもちろんのこと、滞在する国の言語で簡単な挨拶ぐらいはできるようにしたいです。世界一周旅行に出るものの、できれば旅行が終わった後は気に入った国への期間限定の移住も考えています。そのため、世界一周旅行のプランを立てながら、並行して海外での生活について夫婦で考えます。10億円の資金はありますが、日本での老後資金や世界一周旅行の旅行代、日々の生活費を考えるとお金を湯水のように使える訳でもないので、仕事をする必要があります。すでに二人とも40代なので、体力的にも海外でチャレンジするには最後のチャンスだと思っています。そのため、かける費用は最小限にして長く楽しく続けられることを見つけたいです。そんな風にして色々とプランを考えていたらあっと言う間に1年間が終わり、いよいよ世界一周旅行に出発です。その時にしている仕事は退職することになります。両家の両親はすでに高齢なので、両親とは限られた国にしか旅行できないかもしれませんが、思い出をたくさん作りたいです。旅行そのものも思いっきり楽しみたいものの、旅行中は家族3人でどの国なら滞在できるか、あらゆる視点で考察することも重要です。インターネットやガイドブックではわからない現地の話なども聞いてみて、現地の人との交流や情報収集にもはげみます。楽しかった旅行から日本に戻ってきた後は、情報を整理して家族で細かい移住計画を立てます。そしていざ理想の海外移住へ出発となります。紆余曲折あるとは思いますが、海外生活にチャレンジし続けた後、老後はやっぱり日本に戻ります。子供は既に自分の家族を持っていると思うので、夫婦二人で思い出話を毎日するのが理想です。山あり谷ありの人生だったとしても、チャレンジが多かった分、思い出話もたくさんあると思います。宝くじに当たって10億円を得ることは、お金そのものにも価値がありますが、それ以上に今まで諦めていたことに思い切ってチャレンジできるビッグチャンスだと思います。
投稿者: ar
40代の主婦のソフィと言います。私がもし岡山の宝くじ当選者が購入した売り場で宝くじが当たって、10億円を手にすることが出来たら、色んな国に旅行に行って、様々な体験をしてみたいと思います。私は元々、旅行することが好きなのですが、いつも出来るだけ安く、効率的に旅行することを考えて旅程を立てています。でも10億円もあれば、お金のことを気にせずに贅沢なホテルに宿泊したり、豪華で美味しい料理を食べることも出来るでしょうから、旅先での時間をもっと楽しむことが出来ると思います。またいつもはエコノミークラスのシートで飛行機に乗っていますが、10億円もあるなら、ファーストクラスかビジネスクラスのシートを利用したいと思います。エコノミークラスの座席は狭くて、長時間、飛行機に乗って移動するのが苦痛になりますし、なかなか飛行機の中で寝るのは難しいですが、ファーストクラスやビジネスクラスの座席は広いですし、機内で出される食事も豪華ですから、お金があるなら、是非、上のクラスの座席を利用して旅行したいと思います。それから昔から憧れのクルーズ船に乗って、色んな国にも行ってみたいです。テレビなどで見ると、クルーズ船の船内は豪華で、色んなショーを楽しんだり、様々な美味しくて豪華な料理を食べることが出来たりするようですから、10億円もあるなら、是非、クルーズ船での旅行を楽しみたいと思います。お金があるなら、まだ行ったことがないヨーロッパの国々、アフリカ大陸の国々、ドバイ、南米の国々にも行ってみたいと思います。旅行が好きな私ですが、これらの国々へ行くのはお金が多くかかってしまうため、まだ行ったことがないのです。まだ訪れたことがない国に行って、贅沢な旅行の仕方をすることが出来るなら、とても楽しめると思いますし、貴重な体験をすることも出来ると思います。また10億円があるなら、いろんな国に長期で滞在する経験もしたいと思います。長期で滞在することによって、普段の旅行とはまた違った体験をすることが出来ると思うからです。国によっては、長期滞在の場合には専属のお手伝いさんや警備員さんが付くこともあるようですので、そういう生活も一度でもやってみたいと思います。これらのことを想像するだけで、楽しくなってきます。
庶民的母親が考える10億円の使い道
まず、香川の宝くじ当選売り場で買った宝くじが当ったら、30年も残っている家のローンを全額返済して、隣の15坪くらいの空き地を購入して増築し、手狭な家をもう少し大きくしたいです。ついでに今の家のメンテナンスもしたいです。息子達の仲間が家に集まる事が多く、その時は肩身の狭い思いをしているので、快適な部屋を作りたいです。そうすれば、遠方の双方の両親にゆっくり泊まってもらう事もできます!そして、家族みんなの自転車を買い換えたいです。私は、電動自転車で、後は、スポーツタイプの自転車を3台買いたいです。車まで買い換えると、人目もあるので、我慢します。主人には、いつどうなるか分からないので、今まで通り仕事はしてもらいたいと思います。そして、家族で、一ヶ月くらいアメリカ旅行に行きたいです。主人と息子達はバスケットボールが好きなので、NBAの観戦も間近の席で見たいです。一ヶ月なので、ホテルはそんなに高級ではなくて十分です。でも、最後の1日くらいは、贅沢なホテルに泊まってみたいです。これで、1億くらいになります。お金は、回さないといけないと思うので、双方の両親に1億ずつと、双方の兄弟に5000万円ずつ、そして、阪神大震災と東日本大震災などの自然災害やユニセフに対して総額で1億寄付したいと思います。これで、全部で5億です。息子2人には、宝くじが当たった金額を少なく言うか、黙ったままにしておきたいのですが、1人ずつに、年金型や保険型などの含めて1億づつ貯金したいと思います。そして、自分達の老後にも1億貯金したいと思います。これで、8億です。後は、息子達の進学に、余裕を持って、1000万ずつ置いて置きます。高校、大学などお金がかかると思うので置いておきたいです。そして、5000万円で、株の取引をしてみたいです。これは、もともと興味があるのに、動かせるお金がないので、投資してみたいと思う会社に使ってみたいと思います。主人は、バイクが好きなので、今持っているバイクのメンテナンスや新しく購入したりするのであれば、それに300万円使ってもらって、私は、MAC環境なども整えたいので、それに200万円、主人の事務所に必要なものや従業員の福利厚生などに500万を予算にしたいです。これで、8億8000万円です。節約生活をしているので、思い切りが悪いかもしれませんが、多分ファッション関係のものを家族4人で欲しいものを買って300万、家族の腕時計を奮発して200万、沖縄旅行を100万で満喫します。双方の両親と一緒に、いい宿で温泉めぐりのような旅行も計画したいので、親族一行で200万の予算を組みたいと思います。甥と姪の進学祝いに100万ずつ渡したいと思います。金は価値が下がらないと聞くので、5000万くらいの金塊も購入したいと思います。双方のお墓もきちんとしたいので、1000万円の予算にしたいと思います。そして1000万は、当面の生活や雑費などで使い、残りの4000万は、自分たちやお世話になった人、もしこれから寄付や投資をしたいと思う人や企業が現れたら、なんらかのかたちで使えたら、と思います。
30歳女 メガネをやめて積極的に
現在30歳の女性です。私は小学校低学年から目が悪く、近視の眼鏡をかけていました。性格はもともと明るく、あまり人と争ったりすることもなくそれなりに友達といて仲良くやっていました。高学年になると子供同士で身体的特徴などをからかうことも多くなり、とりたてて特徴のなかった私は眼鏡をからかわれることが多くなってきました。子供ながらに「眼鏡なんかいつでも外せるし」と思っていたためそこまで傷つくことはありませんでしたが、なんとなく流行りに敏感な子との距離を感じることが多くなってきました。中学に上がり相変わらず眼鏡をかけていたのですが、私の目はかなり悪く、レンズの厚みがかなりありました。おかげで目が小さく見えたり、体育の時などはとっさに見えにくい角度などがあってだんだんと煩わしくなってきました。中学にもなると小学生よりは落ち着いてくるのか、眼鏡についてからかわれることもあまりなく、嫌な思いをしたことはなかったように思いますが、自分の中では流行についていくことができない、かわいくなれないという劣等感が強くなっていき、目立たないようにしなければと以前に比べておとなしい性格になっていきました。母親に相談してみましたが「中学生でコンタクトレンズは早すぎるんじゃない?きちんと管理できるの?」と言われ、少し自信をなくしてしまいました。高校への進学を控えてついにコンタクトレンズに変えることにしました。初めてつけた時は目がゴロゴロし違和感を感じました。日光の下に出ると今まで感じたことのない眩しさに目がチカチカすることもありましたが、つけ始めにはよくあることだそうで、次第に慣れていきました。コンタクトレンズに変えて高校へ初登校の日、同じ中学校だった子には「かわいくなったね!」と言われとても嬉しかったのを覚えています。友達もたくさんでき、一学期の終わる頃には男の子2人くらいに告白もされました。高知の復縁祈祷にも通いました。かなり遅いですがそんな経験も生まれて初めてでした。こうやってコンプレックスを努力無しに簡単に克服してしまったのですが、余計な思い込みがなくなって自分に「好きに振舞っていいんだ、好きなことをしてもいいんだ」という自信がついたため、高校、大学と友人たちとともに好きなことや勉強に一生懸命取り組み、充実した日々を送ることができました。
42歳男 希望に満ちた気持ちになりました。
こんにちは。42歳会社員です。私が出会った人生が変わった体験というのは富山の当る占い師に聞いたアデプトプログラムというプログラムを受けたことです。これは、エネルギーが使えるような身体になるというものです。普段の生活の中で健康でも、自分のやりたいことでもなんでもエネルギーで物事を解決することができるようになるというものでした。それまで、人生の中で自信が無く過ごしていたのですが、このアデプトプログラムを受けてから、自分に自信が付くようになりました。考え方もネガティブだったものから、ポジティブなものへと変わっていきました。アデプトプログラムとは何千年もの間口伝により伝えられてきた教えだそうです。アインシュタインやユング、ダヴィンチなどが受けてきた、天才になることができるプログラムでもあります。受けたときの心境は、これで人生が変わるなら本当にラッキーだなと思いました。なんて自分は幸運なものに出会えることができたのだろうと思いました。何故なら、人生における悩みというものがあったときに、その悩みをいつも解決することができるようになるということだからです。エネルギーを使うことができることで何でも自分で解決することができるようになったのです。このアデプトプログラムを受けるとそのプログラムの中でリチュアルというものを習います。そのリチュアルをすることで、エネルギーを使るようになるのです。後悔していることと言えば、このアデプトプログラムを受けるまでにかなり多くの無駄なことをしてしまったなということです。多くのセミナーや本などにお金と時間を費やしてしまいました。潜在意識や自己啓発のセミナーなどを沢山受けました。今、思えば、一つも受ける必要のないものだったなと思います。アデプトプログラムさえ受けてしまえば、後は何も必要なかったなと思うのです。読んでいる方にアドバイスがあるとすれば、人生を新しく迎えたいという人にはアデプトプログラムは是非、おすすめです。
私は今年30歳の男性です。仕事は化学系メーカーで製造オペレーターとして働いていたのですが、福岡の除霊ができる霊能力者に相談したあと。2年前から主任に役職が昇進しました。私がメーカーを就職先に選んだのには理由がありました。その理由とは人とコミュニケーションをとるのに苦手意識があったことです。メーカーに就職すれば、極力人とコミュニケーションをとらずに済むのではないかと考え、今の会社を選びました。実際に製造オペレーターをやっている時はほぼ人と話すことはありませんでした。しかし、主任に昇進して人の上に立つ立場となり状況は一変しました。部下に仕事の進め方を教育したり、仕事の進捗を確認したり、仕事の中心にコミュニケーションが必要な業務になってしまいました。コミュニケーションに苦手意識がある私からすると、そのような業務は苦労の毎日でした。なぜ、私がこのような仕事をしなければいけないのかと悩んでしまう毎日でした。任された仕事に対して、当時の私はこのような向き合い方をしていたので、やはり部下からの信頼をえることも、正確な報連相を行うことも出来ずにいました。しかし、このままでは何の変化もないし、自分が変わらなければ部下たちに迷惑をかけてしまうと思い、私はコミュニケーションセミナーを受講することを決意しました。私はそのセミナーでコミュニケーションをとる上で大切なことをたくさん学びました。セミナーを受講してから半年が経つ頃には自信が付き、部下とのコミュニケーションも円滑に行うことが出来るようになり、受講以前と比較すると部下からの信頼を得ることが出来たのではないかなと感じています。今や私はセミナー受講をきっかけに、人とコミュニケーションをとることがむしろ楽しく好きな事に変わりました。主任という立場を嫌がっていましたが、セミナーを受講し自信がついたことで、部下とコミュニケーションをとり部下が育っていくのがとても楽しみとなり、主任という業務を楽しく感じています。苦手意識があるものに対して、逃げるのではなく向き合うことで私の人生はガラリと変わりました。後悔していることといえば、もっと早く自分の弱みと向き合うことが出来ていれば、今よりたくさん友人が出来ていたのではないかなとかんじることです。これを読んでいる人へ私からアドバイスするならば、苦手意識があるものに対してにげるのではなく、向き合うことで、人生はガラリと変わることがあります。悩んでいるのならば一歩踏み出してみることがとても大事ではないかなと思います。
33歳男です。私は、数年前から福岡の霊能者にすすめられ、囲碁を勉強し始め、だんだんと棋力が上がり、幅広い年代の方と交流を出来るようになりました。また、私の新しい趣味としての囲碁は、囲碁をすることにより考える力を養わせてくれ、また、強くなってくるとさらにいろいろと囲碁に対して深い興味を持ってくるのでどんどん囲碁について調べたくなり、物事を深く調査する力を養わせてくれ、また、囲碁のもつスリリングなゲーム性がいままでの勝負事に弱かった私に勝負強さんを養わせてくれました。 私は、数年前、囲碁についての漫画「ヒカルの碁」を読み、囲碁に興味を持ち、囲碁を覚えようと思いました。囲碁の勉強方法としては、テレビでやっている囲碁対局番組を観たり、テレビでやっている囲碁の解説番組を観たり、囲碁の雑誌を本屋、図書館で立ち読みしたり、プロ棋士の趙治勲さんが様々な囲碁の重要論点についての問題集を書いた本である「ひと目の~」シリーズを買って何回も繰り替えし問題を解いたり、プロ棋士の棋譜を本やネットから見つけてそれを碁盤に並べてプロ棋士の考え方の流れを知ったり、スマートフォンの囲碁アプリの人工知能と対戦したり、スマートフォンの囲碁対局アプリでネット上で人と対局をしたり、私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局したりしました。 私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局すると、ご高齢の方でもとても強いので驚かされました。また、そのような方は、年の割には若く見え、囲碁にはアンチエイジング効果があるのかもしれないと思いました。また、様々な年代の方と囲碁を対局すると私の同年代の方と話をしていては得られないような内容の話を聞けるので、私の世界が広がるので良いと思いました。 私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局していると、私は時々ムキになってしまい、周りが見えなくなってしまい、相手に絶対に勝とうとして相手が嫌がるような乱暴な一手を打ち、相手を嫌な気持ちにさせてしまったことがあるので、それは後悔していると思いました。 現実で相手と向きあって囲碁をするときは、相手を嫌な気持ちにさせないように、礼儀正しく打つことが大切だと思います。
35歳女性 私の人生は私のもの
私は過去に一度結婚をしたことがあります。相手の男性と同じ歳で、23歳の時に結婚をしたのですが、相手の義両親や義姉が、毎日のように私たちの家を訪れてきて、家を占領し、義姉も子供も連れてきて、その子供はうちの中のものまで全て出し、ひっくり返し、それでも義姉は子供に、大丈夫!全部汚して帰ろう!どうせ片付けるのは叔母さんなのだから、という言い方をする人で、私は知らず知らずに、すごくストレスになっていき、そのストレスが溜まりに溜まって爆発してしまいました。義両親もまた、1日でも私の家を訪れなくなったと思ったら、電話が鳴り、今から家に行きたい、とか、何をしてるのかという、催促と言っても過言ではないくらいの連絡が来ました。元旦那にそれを言っても、自分の両親や姉が遊びに来てなにが悪いのか、考えすぎだ、と言うような言い分で、最低でした。気付いた時には、私はノイローゼ気味になっていて、今の生活はやめよう、もう全ておしまいにしよう、という事で、思い切って離婚を決意しました。離婚をすると言った行為自体に罪悪感を抱いていた私でしたが、全て手放して、新しい世界に踏み込むと、かなり気持ちが楽になりました。それからは結婚前まで働いていた系列の、クッキンスタジオの講師としてまた働けるようになり、生徒さんたちと和気あいあいと楽しい時間を過ごすこともできましたし、自分で働いたお金を貯めて、好きな旅行にも好きな時間に、好きなだけ行けるようにもなりました。そして趣味活動で、ヨガも初めて、体も引き締まったり、痩せたりして、なんだか自分が自分ではないような感覚に陥り、毎日自分だけのキラキラした素敵な時間を持つことができるようになりました。周りの知人や友人たちからも、新しい世界に思い切って踏み込んでみて、本当に良かったとよく言われています。これからも、自分の人生は、自分のものだし、納得いくまでとことん突き進むような素敵な生き方を目指しています。
30歳独身女性です。幼少期から身体が弱く、度々入退院を繰り返していました。小学校に上がっても体育の授業で大怪我をしたり、持病による入院を余儀なくされるなど子供としては過酷な生活を送っていました。そんなわたしは小学1年生の頃から「病弱な子」としてクラスメイトから壮絶ないじめを毎日受けていました。特にリーダー格のいじめっ子はわたしを殴る蹴るといった暴力から嫌がらせまであらゆるいじめをしてきました。わたしを省くことはもちろん、顔を殴り続けて罵倒したり階段から突き落とす・雑巾を顔に投げつけてくるなど、いじめの内容は数え切れない程です。そのいじめっ子は女子で、彼女の姉がわたしの姉の同級生だったこともあり互いの両親は非常に仲良しでした。その為子供ながら親同士の仲が険悪になることを懸念して、わたしはいじめっ子に歯向かうこともせず母親に相談することもしませんでした。唯一の救いと言えば、わたしが並の小学生よりも学業がずば抜けていた事です。テストの成績はいつも満点ですし、美術や体育といった実技も完璧にこなしていたので逆恨みを持つ生徒も多くいましたが、当時のわたしは学力の向上だけが自尊心を維持する最低限の術だったのだと思います。ちなみにいじめっ子はかなり学力が低く、いつもわたしの美術のイラストを模写して発表するなど卑怯な手を使っていました。そんな小学校生活を何とか終え、中学に上がると幸いなことにいじめっ子とは別のクラスになりました。しかも中学校の3年間は一度も彼女と同じクラスになることがなく、部活も一緒にならなかったので彼女と顔を合わせる機会が殆ど無くなりました。しかし母親同士は地域のテニスサークルに所属しており、わたしが中学に上がって以降も関係を続けていました。そしてわたしが大学生になった時、わたしは母親からいじめっ子の末路を初めて聞きました。いじめっ子は高校に上がるもやはり学力が伸びず志望大学に次々と落ちていったのだそうです。その時に彼女は絶望感をとくと味わったと言います。しかし俄かには信じがたい話ですが、そんないじめっ子を見ていたクラス担任が推薦入試で本来ならば生徒に伝えてはいけない「空きの推薦口」を彼女に教えて何とか大学に合格させたと言うのです。推薦入試では希望大学を生徒同士でも教えてはいけないルールがあり、誰も希望しておらず推薦入学予定の生徒が居ない大学が何処の大学なのかも生徒は知ることが出来ません。この「誰も入ってこない、空きが出た大学」を担任はいじめっ子に教えるルール違反をしたのです。無論いじめっ子もルール違反だと知った上で、まるで最初から空きの推薦口を希望したかのように推薦希望先を変更し、合格したとのことでした。彼女の末路を聞いた時、彼女が過去にわたしへ向けた嫌がらせが返り返って、大学入試で苦しい思いをすることになったのかなと思いました。同時に、小学校の頃から秀でた人間の真似事ばかりするような子でしたので本当の学力は身に付いていなかったのだなとも思い、グレーに近い不正行為でしか大学に入れない彼女を哀れな人間だと感じました。恐らく彼女は自身が過去に行なったいじめ行為を真に反省し、人と向き合うことができるまでに成長しない限りは真っ当な人にはなれないと思います。尤も、真っ当な人間であれば担任がルール違反をして彼女だけを特別扱いする不正を行なった時点でそんな話に乗ることはないでしょう。正々堂々と推薦入試を受け、落ちたのならば自身に落ち度があったという事実を知ることも時には必要ですし、彼女のように人間性に落ち度がある人は特に自分を客観視する良い機会になったかもしれません。現在のいじめっ子の末路は不明ですが、いじめの加害者は被害者が望まずとも自然と道を踏み外して身を滅ぼすのだなと実感しています。
北海道に住む33歳の男です。この話は僕が小学3~4年生の頃の男の担任の先生、S先生のお話です。僕が3年生の時に担任になったS先生。40代の男の先生なんですけど、やたらと男子生徒には厳しいんです。女子生徒にはすごく優しくて、掃除を休みたい女子生徒がいると「無理しなくていいよ!休みなさい」というんです。男子生徒が同じこと言うと「10分くらいで終わるだろ!甘えんな」とか言うくせに。。。なんでこんなに男子生徒に厳しいんだろう?僕はそんなS先生が苦手でした。小学4年になっても、男子生徒と女子生徒との接し方の態度の違いは変わらずにいました。そんなとき、同級生の男の子が言いました。「S先生が〇〇ちゃん(女子生徒)を抱っこしていたよ」と。明らかに変だと思いました。女子生徒にそこまで優しくするの?しかも肌の密着率が高くないか?とその日から僕は思いました。もしかしたらS先生はものすごい女好きなんではないか?とそして僕はS先生を監視してみました。そしたらやはり、女子生徒との肌の密着率が高い。女子生徒の頭をなでたり、肩車したり、でも性犯罪というところまでは行かない感じでした。しかたなく広島の縁切り寺に参拝しました。小学5年になり、担任がS先生から違う先生になり、S先生の女子びいきからも解放され、僕は楽しい毎日を送っていました。そして、僕が小学6年生になったある日、事件が起こりました。S先生が近所のショッピングモールの女子トイレに侵入して逮捕されたのです。そのときS先生の手にはビデオカメラがあったそうです。全校朝会などではS先生の逮捕の話はされなかったのですが、保護者会で、S先生の逮捕が伝えられ、僕はその話を母から聞きました。その後風の噂で聞いたのですが、逮捕後、教員職を首になり、奥さんとも離婚したそうです。正直S先生には散々厳しくされてきたので、正直やった!とか思いましたけど、よく考えてみると、犯罪なので、「やった」という気持ちは違うかな?と思い反省はしました。その後、S先生はどこで何をしているか?分かりません。
嫌がらせをしてくる先生の、屈辱的な最後
私は27歳のフリーターです。私の小学校時代の話を書きます。小学5年生のころ、厳しいというか、意地悪な担任の先生がいました。こちらは子供ですから様々な失敗をするわけですが、先生はそれをネチネチと責め立てるのです。特に困ったのが、授業中にトイレに行きたいと申し出ても、「どうして休み時間に行かなかったの」と怒られ、行かせてもらえなかったことです。私たち生徒はほとほと困っていました。ところが転機が訪れました。ある日の授業中、15分くらいがすぎたころでしょうか、先生が落ち着かない様子でイライラと体を揺らしていることに気づいたのです。私はピンと来ました。先生はもしかしてトイレを我慢しているのではないか。ですが、生徒に「休み時間にトイレに行くな」という先生ですから、まさかトイレに抜けることもできないだろうし、どうするのだろうと思っていました。宮崎の縁切り神社に行ったあとです。どうやらその日先生は会議やほかの業務に追われていたようなのですが、今思えば休み時間どころか昼休みにもトイレに行く時間がなかったのでしょう。それは5時間目だったので、もしかすると朝の始業から一度も行けていなかったのかもしれません。授業が始まって半分くらいがすぎたころ、先生はもう全く授業に集中できない様子でした。算数の授業でしたが、計算も間違えるし、教壇の上でじっとしていられない様子でした。残り10分となったころ、先生は「ごめんなさい。もうお手洗いが我慢できないの。ごめんなさい」と言って教室を飛び出して行きました。誰かが背中に「どうして休み時間に行かなかったのー」と叫びました。いつも私たちが言われていることです。先生はとても屈辱的な顔をしていました。私たち生徒はざまあ見ろと思いました。今思えば、少しかわいそうだったかもしれません。いずれにせよ、その日から先生の嫌がらせはだいぶ減ったことは言うまでもありません。その後、ぼくたちは六年生になり、その後先生のことは知りません。
意地悪な彼女は引きこもりで因果応報です
私が中学生だった頃転校してきてなじめなかった小学校のクラスに意地悪な女子生徒にいじめを受けハブられて利していて、そのまま進学しても部活動関係でも(クラスは違ったのですが)嫌がらせなどをうけていました。ただ、私が部活をやめてからその女子生徒は違う同級生や同じ部活内の娘をいじめのターゲットにして、相変わらず女王様気取りで気に食わない相手をみつけてはいじめを繰り返していました。だんだん、皆にその性格の悪さが知れ渡ってきて随分と露骨ないじめは下火になっていたのですが、陰でコソコソと繰り返していたようです。たいてい、大人しくて目立たないグループにいる感じの娘を虐めていたようですが、中学を卒業してそのいじめっ子は都心の方の高校に進学したので大多数の同級生たちは田舎の地元の高校に進学していたので皆胸をなでおろしていました。後から知ったのですが、言うことを聞かないでいじめに加わらないと今度は自分がターゲットになるという怖さから言いなりになっていたので彼女が同じ学校にいない事で皆でかなり仲良く打ち解けて楽しく学校生活を過ごしていました。いじめっ子の彼女のことなどもう、誰も話題にしなくなっていてそれくらい過去の過ぎたこととしていい思い出の三年間でした。ところが、高校を卒業して中学時代の同級生に進学した短大で再会して聞いたところによると、いじめっ子の彼女は都心の高校で何故かなじめなかったようで、シカトやハブられたりして、挙句な果てに不登校になっていたとのことです。それも、心を病んでしまったようで部屋から出ることもできなくなり”この世の人全員が敵に見える。”と、何時もおびえていていまだに外にも出れないということでした。ひどいとは思いましたが虐め被害にあったり加害者に加えられた同級生たちは私も含めみんな”ざまあみろ!!!!”と、言いあって同情もしませんでした。いや、できませんでした。みんな口々に”因果応報ってあるんだね”と、事あるごとに言っていました。中学の同窓会が時々行われますが、未だに彼女はきたことがないです。まだ引きこもりらしいです。でも、私は可哀想だとは思いません。
沖縄のビーチリゾート地を作るために使います
神奈川県在住、55歳男性です。もし宝くじが当たったら。考えただけでもワクワクしますね。まずやらなければならないことは住宅ローンの返済ですね。これはあまり楽しくありません。ただ肩の荷はおります。残額はそんなに多くないので、まあ、まだまだ残るでしょう。本題はここからです。老後を楽しく過ごすために沖縄の海沿いに土地を買います。ここに住居兼宿泊も出来る上物を建てます。民宿みたいなものですね。で、モーターボート一台とジェットスキー五台を買って、ビーチスポーツが出来る小さなリゾート地にします。宝くじが当たってればそんなに収益は産まなくて良いので、低価格に設定できるので、ほぼ道楽みたいなものですね。ダイビングをしたり、ボードをやったり、あるいはバーベキューをしたり、やりたいことはなんでもできます。お酒もたらふく呑んでゆっくりと沖縄の時間を過ごす。考えただけでも楽しそうです。お客に対しては、サービスというよりは施設をを提供するので、基本セルフでやってくださいというのがスタンスです。そうすれば人も雇わなくて良いので気楽です。何年かやってたら常連客も出来るでしょうから気の合った仲間とお客さんを巻き込んで楽しく過ごせたらいいですね。この計画はもうだいぶ前から温めてはいたのですが、なにせ資金がないので、実行に移せずにいました。ただ、その時のために、ダイビングのライセンスを取ったり、船舶免許を取るなど準備は着々と進めています。次はジェットスキーの免許を取ろうと思っています。親しい仲間2、3人にも声をかけて、きたる時には一緒にやろうと同意してもらってます。酒を一緒に飲みながら、話をネタに盛り上がっています。年齢的にもそろそろ仕事は引退を考えなければならない時期に来ていますので、第2の人生に向けて、なんとか資金を集めなければならないと思っていますので、宝くじよ、ぜひ当たりますように!
私がもし宝くじで10億円当たったら親が事業の失敗で作った1000万近くの借金を返します。私は地方の小さな製造会社で働いている会社員です。地方ではよくあることですが正直給料はよくありません。恥ずかしながら実家住みでなかったら暮らしていくのは難しいです。それでもというか、だからこそというか月に30000円以上は貯金するように心がけています。節約はもちろんちょっとした副業なんかもやって少しでも結婚やら老後やらの未来の心配をなんとか減らそうと頑張っています。ですが、そんな小金で解決できない大きな心配事があります。父親が事業で失敗した時にできた1000万円近くの借金です。正確な金額は知らないのですが、会社役員の母の退職金を当てても完済できないと言っていたので1000万ほどはあると思います。両親は私が心配することではない、自分たちでどうにかするからと、言いますがどう考えても私にも関係ありますし親がお金に苦労しているのを見るのは辛いです。なので、もし10億円が当たったら親の借金を返します。そして沖縄の交際クラブに登録。10億円あったら1000万なんて小金。流石に両親も快く受け取ってくれるでしょう。そして私も奨学金という長年の借金があるのでそれを返してしまいたいです。あと、家の古い所のリフォームや取り壊しにお金がかかるから10年以上放置してある亡くなった大叔母の家の片付けなど、気にかかっていることをどうにかしたいと思います。とにかくまずはマイナスをゼロに戻すことから始めてそれから楽しいことや今後の生活のことを考えられるようにしたいです。そして、多分これらのことをどうにかしてもかなりの額が余るというか1億も使わないと思うので、5億円以上は絶対に貯金します。できればいろんな通貨や形で貯金してリスクに備えたいです。正直こんなみみっちい使い方を考えているタイプの人間に宝くじが当たるとはなかなか思えませんが、現実的な使い方を考えるのが一番楽しかったりします。
もし大分の宝くじが当たる売り場で買った宝くじがあたったら、夫と子供だけに宝くじが当たったことを話をして、絶対に家族以外に宝くじが当たったことを話さないように口止めすると思います。宝くじが当たってから、はすぐに生活を変えないと思います。しばらくしてから、使い始めますね。共働きでいつもとても忙しいので、家族旅行をしたことはほとんどありません。子供たちはいつも友達の家が家族旅行へ行った話を羨ましがりますが、夫も私も安月給なのでなかなか国内でも旅行へ行くのは難しいです。だから、宝くじが当たったら、国内、国外両方とも色々なところへ家族旅行をすると思います。本当は家族で世界一周旅行へ行きたいのですが、そんなことをしたら子供たちも私たちも学校や会社を何日も休まなければいけなくなりますし、周りに「どうしていきなりそんなに贅沢になったんだ」とおかしく思われてしまいますよね。宝くじが当たったことを他人に知られても良いことはないと想像できるので、知られたくありません。私も夫も会社は絶対に辞めませんし、なんとか長期休暇をとれた時に旅行へ行きたいなと思っています。GWやお盆休み、年末年始など外国へ行けたらどんなに楽しいだろうなと思います。死ぬまでに家族で様々な国へ行き、楽しく観光したいなと思いますね。あとは、一戸建てを購入して住宅ローンがたくさん残っているので、一気にローンを返済したいと思いますし、車のローンも一括返済したいです。借金がない精神的に楽な暮らしになりたいです。うちは外食をするのは三ヶ月に一回あるかないかなので、月に数回外食をしたいです。共働きで疲れ切っているのに、毎日毎日食事を作らなければいけないのはとても辛いですし、たまには楽したいなぁと思います。子供たちにもお寿司屋やステーキなどの美味しい物を、たくさん食べさせてあげたいなという気持ちがあります。まとめる、もし宝くじが当たったら家族旅行をたくさんして、家と車のローンを一括返済し、家族で頻繁に外食をして美味しい物を食べたいということになりますね。